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悲しき軽運送屋の顛末記 (番外編-D) [顛末記]

我が家のエリヤに電話番号簿、いわゆる「ハローページ」と「タウンページ」が配達されてきた。
毎年この時期になると恒例になっている。これは想像ではあるが、多分一年で全国を南から北へと巡回するのであろう。その辺、ご存知の方はお教え願いたい。まさか、一月に北からと言うことは無いと思う。雪の季節にワザワザ配達しにくい場所を選ぶはずも無いからだ。

何を隠そう、私もその昔(軽運送を始める数年前)に経験したことがある。運ぶのが好きなわけではないが、運転するのが好きで配達のバイトが多かった。そのおかげ?で、軽運送もやることになったわけだが、電話帳を配った当時は軽1Boxなど所有していなかった。なので普通の愛車で駆け回ることにした。


★今年の最新版電話帳です。

当時の値段は忘れたが結構儲かる仕事であった。多分、今の半額くらいの料金だったと思う。一冊配ってナンボである。そのほかに前年度の古い電話帳を回収すると、確か5円もらえた。ノルマとして、50%以上の持ち帰りが義務ずけられていた。リサイクルが盛んではない時代、新しい物が配達されるとその直後、古い電話帳がゴミ捨て場に山積になることの苦情が出たかららしい。今でこそ業者がお金を出して引き取りに来てくれる環境だから回収もお金になるが、その当時はお金を出して処理して貰っていたのだから安いのは当たり前、しかし、このノルマを怠ると解雇に繋がるので「仕方なし」にやっていた。

とはいえ、配達は玄関前でよく、確認の印鑑も要らず、留守ならばドア前に置いてくればよい。しかも、大体の家には電話があるのだから隣から隣へと配達するので効率が抜群なのだ。一日に150件はいける。当時、約2~3週間で20万以上にはなったはずだ。たった3週間で、といわれるが、期限が決まっていた。だから、間に合わなくなると単価が上がるのだ。たとえば最初一冊60円で配っていたものが最終的には一冊200円にはなった。自分の担当地域が終わったものが助っ人したり、まだ手のつけられていない場所を料金に釣られて配達するのだ。残る地域とは軽運送で書いたことと重複するが、旧番地である。家が離れてる少し田舎に近い地域は敬遠される。当たり前のことだ。数がこなせないのだから。人気は団地! まさにドア・トゥ・ドアなのだ。

しかし、デメリットもある。印刷業界にお勤めの方はご存知だと思うが、紙は一枚だと軽い。が、束になると非常に重くなる。当時の電話帳は今の倍もある厚さだった。それをハローとタウンの2冊を袋に入れて車に積む。数を数えて事務所に申告し、出発する。だが、そんなにスンナリ車は走ってくれない。とにかく重いのだ。自家用車の後ろ一杯に積んで約150件分はスプリングが一杯に縮んで前が軽くなる、操作も慎重に行わなければ事故に繋がる。近頃では軽運送で仕事の無い人もこれに取り組んでいることがあるが、まさに水を得た魚のようにこれは商業車に向いている。

中には夫婦で動いている人達も居るが二人でやって利益になるかどうかはともかく、これは効率的である。とにかく早い。次が隣の家なので一度車を止めたら数十件を回る。二人でどんどん置いていけばそれなりの数を配れるのだ。

「ナーンダ簡単だね」なんてことはない。結構キツイ仕事ではある。現在は分からないが、当時重さを測ってみたことがある。1セット約5kg。これを10袋は持てない。50kgを肩に担いで一塊なら何とかいけるが、袋の持ち手に指を入れて両手でせいぜい6袋。つまり6件分である。
となれば隣から隣と言っても車との往復になる。たとえばアパートなど一階、二階あわせると10件以上になる。それに10mもない距離を車で移動するのは効率的に良くない。結局人間の機動力に頼るのが一番なのだ。
今頃の季節でも一仕事終われば汗だくになること請け合い。その分、ガソリン代もかからず儲かるのかもしれないが。

心配なのは車のほうだ。運転の仕方もともかく、普通車は乗り心地をよくするためにスプリングやショックを比較的柔らかく、しかも商業車に比べて弱いのではないかと思われる。それに5kgを150セット積めば750kgである。運転手が一人乗るので最低でも800kg以上にはなる。一応乗用車は積載量が決まっていない。が、大人5人、平均体重80kgの計算でも400kg、それにトランクへの荷物があるが、最大でも500kgくらいの計算ではなかろうか。その辺も自動車メーカーに聞くしかないが、とにかく荷物用ではない車に目一杯積むのだから毎日続けて配達していると足回りの寿命が縮むのではないかと気に掛けないほうがおかしい。壊れれば自分の責任で修理するしかないのだから。新車のうちにそれをすると、数年立ってたら通常の使い方をした車よりヘタリが早く出てくるのではないだろうか。ブレーキもまたしかりである。
自分の愛車を酷使しての稼ぎが見合う額なら良いが。どんな仕事も稼ぐのは大変だ。簡単だったらNTT自身の従業員がやっているだろう。

と言うことで、このシリーズも本当にこれで最終話にしたい。番外編では現在の見聞きして軽運送に関わりそうなことを書き綴ってみた。しかし、これもダラダラと「何時までも」では読んでいただいている方の目を汚すだけだ。

次回からは、タイトルも新たに「思い出」を書いて見たいと思う。もし、興味のある方は引き続きこのブログをクリックしていただければ幸いである。

THE END

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悲しき軽運送屋の顛末記 (番外編-C) [顛末記]

6月に入った。どの新聞・TV・このブログでも駐車禁止取締り、民間委託の話で持ちきりだ。運送業者も防衛策を必死で考えているらしい。

駐車禁止区域での駐車には配達の場合、5分以内の荷物の積み下ろしは適用されない。と教習所で教わった記憶がある。それ以外は運転手が乗っている場合は停車となるんではなかったか? (私が自動車運転免許証を取得したのは30年以上前なので…忘れてはいけないことだが)


★Photoはイメージです。

違反取締りが民間委託になれば営利主義(今でも多少そんなところはあるが)が増長するだろう。委託会社の社員にはノルマも課せられるかもしれないし、最初の一ヶ月はそれはもう混乱の毎日ではないだろうか。これは余りにも理不尽な変更だ。政治的に「天下り」の受け入れ企業になっている現状もあるが。そんなことよりもトイレに行きたくなって1分止めても、買い物に3分で本屋から目的のPC月刊誌を買って帰ってきてもシールを貼られたら違反では現実的ではない。
その為に街中の駐車場に止めて、最低150円では消費者(国民)にとって実質商品の値上げと同じ。儲かるのは委託会社と警察=国と言うことになるのか。

決して違反を肯定しているわけではない。中には交差点内に平気で止めてあるとか、すれ違いが出来ないような狭い場所に駐車している車には、私も腹が立つ。
「違反は違反だ」と言う潔癖な御仁もいると思うが、特に運送業者にこの法律を適用するなら物価の高騰、ひいては経済的打撃でまた不景気に突入する懸念もはらんでいる。

2人乗りで運転手を残しておくとか、コイン駐車場にいちいち入れるとか、ルート先の近くの駐車上と契約するとか、それの経費がかさむ分、商品に上乗せされるのでは、車の運転をしていない人、駐車禁止にならないように努力をしている諸兄にも商品購入と言う形で影響してくる。それで良いのか、議員さんや関係所轄の決定権のある方はそこまで考えているのだろうか。(もっとも、その方たちは庶民より何倍もの高給を得て、送迎の運転手つきの車で動いているのだから影響は無いだろうが)

私は今や別に運送業界の回し者(関係者)ではないのだが、それでもこれからの行く末が心配である。特に軽運送の人達は二人乗車でとかは論外、駐車場へ止めれば自前である。その分運送料に上乗せできない弱い立場でもある。なんにでも例外がある…となる可能性が取締り側にあるのだろうか。たとえば運送車は荷物の配達については免除とか。
この意見に反対される方もいるだろう。が、郵政省の「ゆうパック」を配達する車は対象外なのだ。同じ軽自動車で、同じ配送。郵政省は業務に支障が発生すると言う理由で免除、普通の軽運送は取り締まりの対象とするなんて法の下の平等に反してはいないだろうか。

人間は次第になれていく。原油が上がれば物価も上がる。それと同じで駐車禁止の対策で同じ事が起きても、慣れてしまえば締め付けられながらも、それなりに生活していくのだろうか。
昔、バブルが弾ける一因として消費税があった。今、皆当たり前のように払っているが、周りを見ればリストラ、雇用減少、一握りの勝ち組のための多数の負け組=貧富の格差現象が起きていることに気がついていないのか? それは軽運送を辞めて十数年経った現在も「改善されていない」と感じていることなのだが。

私が若い頃には学生運動とか、国民は不満に思ったことを口に出してデモを起こしたものだ。それが世論を動かし、政治家も耳を傾け、方向を変える事もあった。古来から民衆は一揆などで主張したものだ。それが歴史なのだ。今の人達、特に若い力のある人が「おとなしい」。それは現状に満足していると言うことか、それとも気力が無いのか。
私は 反体制の政治的先導者ではない。勿論、「右」でもない。ただ現状をみて憂いているだけである。(ブログという「おおやけの場」に準ずるところで、こういうことを書くのは危険なのか、別に他意はない気の弱い人間なのだが)

私にしては、少し「こむずかしい」話をしてしまった。皆が平穏な暮らしを望み、幸せならそれでよいのだが。偉そうに「負け組」(しかし一番敏感に世情を感じていることは確か)の言うことではなかった…

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悲しき軽運送屋の顛末記 (番外編-B) [顛末記]

先日、久しぶりに求人広告を開いた。毎週日曜日になると「ドサッ」と入ってくるやつである。ここ数年この折り込みを見るのが嫌だった。これが「騙された」と私が自覚しているD社軽運送の始まりだったが故に、いつもこの種の折込だけはゴミ箱へ直行させていたのだ。


★Photoはイメージです。― 久しぶりの良い天気続き!!だそうです ―

別に就職先を探すために見たわけではない。単に好奇心、今どのくらいの職種がいくらくらいで求められているのか。なんて少しは偉そうに…しかし、何となく目を通してみた。
折込広告の枚数も一時よりは増え、不景気も脱したような感もあるが、どこかの議員さんがニート対策だとか、アルバイトの地位確立なんて叫んでいる割にはパートやバイトが多いのは、人は欲しいが金はかけたくない経営者の本心が見え隠れしている。

とりあえず、何にしても運送業(普通車や大型も含めて)の募集が台頭してきていることが不思議に思えた。景気が良くなると運ぶものも増えると言うことなのだろうか。それとも条件に対して余りにも仕事がキツくて、辞めていく従業員が結構いる=人員不足の募集なのかと推測してしまう。一度その関係者から事情を聴いてみたいものである。

少し話はずれるが、ある時私は知人の荷物を運ぶためにレンタカーを借りに行ったことがある。2tのバン型トラックである。レンタを借りる時の注意はその車の状態をチェックすることだ。万が一知らない部分に傷などついていて、後で「貴方がブッツケタ」といわれても確認していなければ反論しようが無い。私もその確認をしたが、そこの数台のトラック全車に傷がついていた。物を運ぶのだから当たり前といえば仕方が無いのだが、その傷の箇所が全て後ろの車輪の上あたり。もう、諸兄にはお気づきかと思うが、レンタカーを借りる人達はいつもは普通車に乗っている可能性が高い。ボンネット型の。車の一番前に運転席のある、しかもこの頃のトラックは2t車といえどもロングボディーが多い。「内輪差」を考えないで運転している証拠である。
ボディーサイズは小型車として最高の車幅、2リッタークラスはある。それに曲がり角、特に狭い道などの取り回しはやはり神経を使う。
慣れてしまえば、どうってことない。と運送会社のベテラン運転手は言うのだろうが、時間の切迫や配達ルートに思考がいっぱいで車の取り回しまで気が回らなくなることは無いのだろうか。よく、「よそ見をしていた」とか「ほかの事を考えていた」などの理由で事故をおこしたトラックのニュースを耳にすることもある。実際、そのレンタカーを運転して思ったことは、毎日気楽に出来る仕事ではない。従事している方はたいしたものだ。それだけ給料は良いようだが。

話を元に戻そう。
やはり、A社・B社の大手だった? 軽運送協会の募集説明会は姿を消していた。もしかしたら社名を変えて再スタートいている可能性もあるが、少しはその協会の車がいまだに走っているのだから違うのだろう。
広告には中小の軽運送業者がいくつか載せている。多分大手に従事していて「勝ち組」になった、優良企業に出向していた会員が、ウマミを感じて作り上げた会社のようだ。よーく読んでみると収入(売り上げ)は確実に減らしてある。40~50万可になっている。私の経験からいえば経費を引くと20~25万と言うことになり、これは一般のサラリーマンクラスの収入であり(いや、もっと貰っている方もいるだろう)、ましてやボーナスも退職金も労災も無い条件での利益である。年金も健康保険も自分でおやりなさい、と言うことだ。私の経験=不健全経営のD社を基準に考えているので、間違いがあったら指摘していただきたい。

何度も記してきたが、これがわざわざ車を購入して自分で「経営」しての現実であろう。(現在はリース車もあるとはされているがそれで額面通りの利益が得られるのだろうか)
さらに詳細を見てみた。小さい文字まで読んでみると、大体のこの手の広告にはメインとサブの仕事があるらしい。らしいと言うのは私の従事しているときには、はっきりこのような区別が無かったからだ。
一日平均10~14時間の稼動時間で25日働いてのことだ(と記してある)。それも先ほどのメインとサブを両方受け持っての収入だ。昼間に宅配やスポットをやった後に、深夜から早朝にかけてのスーパーへの生鮮食品配送や牛乳配達なんて事をやらなければこの売り上げにはならないのだろうか。

人間というのは働いた直後に「おやすみなさい」と寝るわけには行かない、通勤つまり家まで帰らなければならないし、仕事は家でも続く。自営なのだから。配達伝票の整理とか納品書・請求書、明日のルート確認などである。その後、風呂に入るとか、食事を取れば本当に寝られる時間はどのくらいだろう(私の経験上、寝不足は否めないのだが)。
これには趣味とか余裕と言う時間は見受けられない。勿論、そんな事言っている場合じゃあない、と言う方はそれまでだが、それまで全てをひっくるめて生活なのだと思う。休日が本当にあるのなら当時よりはマシではあるが。

もう一つ、「ご夫婦同伴でお越しください」と言うフレーズが目に付く。これの意図は何なのだろう。後で文句が出ないように家族みんなに了解していただく。と理解してよいのだろうか。それだけ覚悟して取り組みなさいという警告なのか、お気軽にと言うことなのか。

私は現在従事しているわけではない。なので今の現実を知らないまま、上記のようなコメントを書いてよいものかどうか迷ったが、以前の経験を思い出して疑問に思ったことを書き連ねてみた。関係者の方で反論や説明があるのならコメントに寄せてもらいたいものだ。軽運送の会社経営の方ばかりではなく、会員の皆さんから現在の状況を。

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悲しき軽運送屋の顛末記 (番外編-A) [顛末記]

私はロイヤリティを払って軽運送業をはじめた。その一番の理由は待っていれば仕事を出してくれる、という条件のためにだ。つまり、営業活動をしなくて済むから。
そんな安易な考えからD社の協会へ入ってしまったが終盤の仕事量の減少から、つくづく自分で動く「営業」が必要だと感じた。現にチラシを作って配ろうかと思った事も確かだ。

当時、協会を辞めて本業に戻った私には運送業以前の取引先とは完全に切れてしまっていた。そう、商売としては一からやり直し、地元の関連会社を一軒ずつ回って仕事を貰う交渉をしなければならなかった。しかし、世の中はそんなに甘くない。「こんにちわ」で「ハイ仕事出しますよ」なんて簡単に事が運んだらこの世から営業マンがいなくなる。
それでも何とか現在3社から注文が入ってくるのだが、正直を言って単価が下がったこの業界では、まだまだその量が足りない。
当然、いまだに暇を見つけては営業を続けている。皆、どんなやり方をしているのだろうか。誰も教えてくれない。当たり前だ、自分で編み出した「手の内」を簡単には見せてくれるわけがない。


ドキドキ初回営業の極意―「最初」の1回が「最大」の営業チャンス!

今、私はある本に没頭している。今までなんでこのような類の本が無かったのか不思議でならない。「営業のやり方」を解説している本である。といっても難しい、念仏のように文字ばかり羅列しいてる単行本ではない。「初めて(初回)の営業をする」ことを題材にしたもので、中には漫画やイラストで面白く、また分かりやすく読める。初心者ばかりではなく、営業が上手く行かない人にも…それが苦手な私にはピッタリの内容である。

「なぁんだ、広告か」と思われるかも知れない。そう、ある種の宣伝になってしまう。が、私はこの著者から一円の金銭も貰っているわけではない。が、あの軽運送の暇していた時にこの本が手に入っていたら、私はそのままその仕事を続けていられたのではないかと思う。ドギドキをワクワクにしてくれる営業術とある。それが私を引きつけた。

netを見ていたら紹介されていたこの書籍は、中経出版という会社から出ている『ドキドキ初回営業の極意』である。今までの仕事で満足している方には関係無い。
軽運送だけではなく、本業の営業マン・自営業の方は勿論、人間関係を円滑にしたい人が一読すれば、仕事が楽しくなるかも知れない。
「私はもう、慣れているから」なんて言う方も見方が変わるだろう。今まで一度も紹介記事など記していない私が思わず書いてしまった。一度、本屋で覗いてみては…


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悲しき軽運送屋の顛末記-30 (一応最終話) [顛末記]

この一ヶ月、一気に書き上げた。今回を一応の最終話にしようと思う。まだまだ書くことはできるが、後はエピソードというよりは日々、配達に流されて愚痴ることばかりなのでこの辺で終わりにする。今、突然に飽きたからとか、面倒になったから終了というのではなく、はじめから30回でと考えていた。
最初からストレス発散のためなので、文字にすることで溜飲を下げた感がある。毎回が長く、読むのも飽きる文章に、たとえ一行でも目を通していただいた方には感謝に絶えない。


★Photoはイメージです。結局招き猫は後を向いて去っていきました。

最後は「総括」と言うことで、順次書いてきたものと重複するところが多々あると思う。

資金調達は車代、ロイヤリティと当面の生活費を含めて350万。収支は開業から2年目までは年商、約250万以降、次第に減少傾向で平均200万の年は良いほうだろう。その内経費のガソリン代・高速代・車検、点検修理代・税金全般を50%として、半額が純利益だ。最高でも50万の売り上げなので、月々にすればよいときで25万~わるい時で8万くらいか。とうとう広告の70万は1回も達成できず、これ以上の売り上げや純利益を得られた経験者は幸運である。また、そうとうの努力家でもある。

就業時間は不規則、サラリーマンには当てはまらない、また自営業でもこれだけマチマチな時間に動く商売は珍しい。休日は基本的に無し、が待機中の時を思えば拘束をされてはいるが休みといえる。早朝から深夜まで、時には徹夜で運転し、寝ずに職場に帰還する非常に不健康な仕事である。その逆に一日中、待機場で世間話に終始することも多々あり(睡眠をとることは出来ないが)、日給とか、月給のように安定はしていない、完全歩合制。

人間関係はといえば会員同士の付き合い方、荷物を出す運輸会社の担当者への接し方、軽運送の手配係との関係、最後に荷主つまりお客への態度と、自営特有の八方美人的努力も必要なのだ。

当時は行きかう車のうち、一日に10台以上は軽運送関係車を見た。現在、街で見かけるのはせいぜい一日2台。私が撤退した後の空港では50台くらいが車を連ねて待機しており、運送料がとうとう東京まで6,000円を切ったと風の便りに聞いたことがある。それでも仕事にありつける会員は10人前後だとも。

ここまで「本当のこと」「裏話」を読んで「軽運送業」をやってみようと思う人はよほど肝の据わっている方か冒険の好きな、または余裕があるが余暇を楽しむ好奇心の強い人である。だが、くれぐれもこれは当時の話、今の現状は定かでない。

その後の私は、仕事ゼロの日々をすごした後、車を売却した。ディーラーに持って行き査定を頼んだが、営業ナンバーをつけた車は基本的に取らないとの見解。外見は新車同然の艶を保っていたが、走行距離は30万キロを越えているのである。やはり転売は難しいのであろう。
ダメもとで全国展開しているGショップに行ってみる。「綺麗に乗ってますねぇ」で15万。廃車料を払って捨てるよりマシか。と、もう少し欲を出して「どこよりも高く買い取ります」のキャッチフレーズを載せている広告を見てワザワザ少し遠くまで出向いてみる。くるまのH屋、あまり大きいところではない。最初は10万という。「Gショップで15万だといっていた」と言うと(私も正直だ、もう少し高めに言っておけばよかった)、では15万でとのたまう。それでは同じでしょう。どこよりも高く…なのだから、と言うことで16万で手を打った。諸装備を入れたら新車の十分の一だ。ま、これだけ乗ったのだから値がつくだけよいか。余り稼げなかったけど…

本来ならD系運送社との間で退会の書類を取り交わさなければならないはずだが、私には言い出せなかったのか、いまだに何の連絡もない。まだ会員なのか…とっくに車が無いので今更という感じではあるが。
その一年後には地元にあったD社の営業所が閉鎖。その他の地域も順次、無くなっていき、募集広告も姿を消した。そういえばA社・B社などの軽運送事業を運営している業者もあれだけの説明会を開催していたのに、無くなったり、回数が極端に減っている。
ある時、D社の会員に偶然会った。その当時の状況を聞いてみたところ、全ての営業所・会員を整理して、結局「空港」近くだけに営業所を残し、細々と地元の会員を募集しているとの事だった。
長持ちするはずはないとは思ったいたが、整理された会員にはタマッタものではない。何十いや、何百人が犠牲になったのだろう。その一人が私だが。

遊んでいられない。本業に帰るしかないと私は考えた。しかし、私の仕事はシステムが180度変わっていた。賢明な人なら私の本業を見抜いているかもしれない。
一年かかって、勉強のしなおし。勿論、投資もしなければならない。ここからの試練は軽運送と同等か、それ以上の努力と悪夢の結果が待ち受けていたが、その話はまた後日できれば書こうかと思う。現在進行中なので現実的になってしまい、今はまだ発散できない…

たった30回、どんな方に読んでもらったのだろう。軽運送の経験者? これから従事しようとしている人? それとも軽ではない運送業の関係者かも。「こんなことはないよ」とか「バカみたい、こうすればいいのに」とか「本当にこうなのかぁ?」などと思われた方もいるだろう。ヒョットすると一人も読まなかったかもしれない。それはそれで良い。私はぶちまけた。本当は実名を挙げても良いかと思ったが、それでは中傷記事にしかならない。少なくても私の顛末記なのだから…
只今の総閲覧数2,300件余り、全ての数字を信じているわけではないが、私の自己満足には余りある方々だ。

次回からは思いついたことを、ポツポツ書いてみようかと思う。

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悲しき軽運送屋の顛末記-29 [顛末記]

E運輸には、年に一度のイベントがある。ここは「クビ?」になったはずであるが、この時ばかりはD軽運送、殆ど全員の会員が参加するのだ。他にもA・B社などの各軽運送協会からも出向いてくる。
時期は冬、クリスマスやお正月に呼んでくれる訳ではない。その後にある「大学入試センターテスト」の一日後、この辺一帯の高校および予備校にその問題を配るのだ。来年受験の人達の予行演習用なのだろうか。それとも受験生の確認のためか。どのくらいの数があるのだろう。


★Photoはイメージです。

この仕事には空港の面々も集まる。懐かしい顔もいる。勿論知らない人も…とにかく、この仕事は時間が厳しい! 学校が始まる前に届けなければ何の意味も無いのだ。一時間目からのテストに間に合わなければアウト。
配達区域を決められる。そうして何校、受け持つかもその人の能力次第。その分、回る学校が多ければ収入も増えるが、そんなに沢山配達できるわけは無い。

届ける時間は午前5:00に出発、8:00には終了しなければならない。出来るだけ地元の知っている高校を優先されるが、関東一円と思われる中、E運輸の「ここ」の営業所は千葉県一帯が担当だ。割り当ては大体平均3~4校である。私が千葉県のこのイベントに呼ばれるのは成田にある「空港」に通っていたから。このあたりが詳しいと思われたのだ。どちらかといえば県外が多いのだが、そこはこの仕事が結構、率の良いことを毎年やっていて知っているからだ。でなければ嫌味を言われて出された会社などに協力するわけが無い。いくら人の良い私でも。しかし、この時ばかりは私に対してもE社の所長も愛想が良い。

私が受け持たされるのは毎年、房総半島の下のルート。木更津・館山・鴨川までの比較的、距離のあるコースだ。走りがいがあるが多分このグループで一番の高額収入になるだろう。しかも、一番多い6校だ。間に合わせるには、我が愛車のターボを利かせて高速館山道を飛ばすしかない。と言ってもスピード違反はご法度…もう時効だから良いか、高速で走る!! (何キロかは秘密)。でなければとても行き着かない。

この仕事、配達だけではない。テストが終わったら回収してこなければならない。採点もこのシステムを運営している会社の代金の内に入っているのだ。そうして、遅くてもE運輸の営業所に午後の6:00必着だ。しかし、テストの終わる時間はマチマチ。試験の科目数によって(高校が頼んだ教科はその学校によって違う)、昼ごろに終わるところもあれば3:00までかかる場合もある。鴨川が3:00終了とすれば、その用紙を学校の先生が回収して私に渡すのが3:30にはなる。残り二時間半で営業所まで帰らなければならない。これはギリギリの時間だ。もし、渋滞や事故が発生すればとても間に合わない。その為に帰りのルートも熟知して、いくつか臨機応変に使えなければ出来ないコースなのだ。幸いこちら方面に親戚が2箇所あるので、裏道・山道・抜け道を知っている私は絶好の人選だ。

[こんなことがあった、その27]
午前5:00の道は空いている。快適な走りだ。十数分後に高速道路に乗っている。
まずは木更津まで約30分。そこに3箇所、うち予備校1・高校2箇所である。予備校は閉まっている。だが、この日のために早くから来ている職員が居るはずだ。早く受け取ってもらわないと次へ行けない。抜かすわけにはいかないのだ。10分ほど待っていると車が到着、関係者と確認して渡し、確認印を貰う。と、次に急ぐ。私立の高校には門衛がいる。受け取ってくれるわけではなく、こちらが入校手続きを書かなければならない。業者には厳しいのだ。これも時間が惜しい。公立の高校は職員室へ届ける。この「職員室」を見つけるのも一苦労だ。何箇所もある。そのうちの係りの先生に渡さなければならない。木更津だけで一時間を費やす。

次は君津一箇所。そろそろ運動クラブの朝練の生徒が登校してくる。横目で見ながら走って届ける。途中「お早うございます」と挨拶をしてくる。しかも生徒全員が。そう指導されているのか、本当に心から礼節を重んじているのか…わるいが、少々うっとうしい。返事をしている暇に手渡したいのだ。

5箇所目は館山の高校。ここは先生もまだ登校していないのか、呼んでもなかなか出てこない。「んー困った」とりあえず生徒を捕まえて、先生を連れてきてくれるように頼む。10分でも長く感じる。担当の先生ではないが、とりあえず「必ず」と言うことで頼むことにした。最後が間に合わなくなるからだ。学校なので地図上でも迷うことは無い。道順はスムーズだが、先生の連絡が悠長だ。その学校だけ届けるのならそれで良いが、次があるのだ。先生はそのことを知らないのだから仕方ないか。

★Photoはイメージです。

最後の鴨川にはギリギリで着いた。逆にこちらは「待ってたんだ」「遅いじゃあない」と言いたげ。しかし、無事配達は終了。が、これでゆっくりと言うわけには行かない。また、木更津の予備校にUターンしなければならない。
今度は集荷だ。別に早く貰っても次の高校に行くのは一時間の間があるが、指定されている時間を守らなければ信用問題だ。休む暇は無い。また2時間かけて最初の場所へ…

軽運送をやっていて食事のことを書いたことがなかった。まさに不規則なのだが、朝出のときは「おにぎり」を作ってもらう。外食は収入に影響する。また、時間が無い時に走りながらでも、かぶりつけるメリットがある。後はお茶を魔法瓶に入れて持ち歩く。これが殆どだった。家に居る時は当然、内食だが、家に帰れず深夜まで及ぶとコンビにしか頼りになるところがない。食堂なんてとんでもない。贅沢は出来ない軽運送である。
高速道路のサービスエリアでも、レストランを横目で見ながら軽食コーナーに足を向けるのである。

集荷の最後、鴨川を午後3:00に出られた。融通の聞く先生だ。早く帰れる。帰りは山道だ。高速は最後の2区間だけ。房総半島を斜めに横断すると、ぐるっと回って高速道路で帰るより早いのだ。
たまに、山道でラリーまがいの車が走っている。その時も後ろに着かれた。ステッカーをベタベタ貼った走り屋である。しかし、私も一応プロの端くれ。運転経験は20年以上。しかも山道には有利な幅の狭い軽自動車にターボ付き4WD。「負けるか」と離しにかかる。後ろを着いて来るほうが断然有利なのは免許を持っている方なら分かると思う。前方の見切りをしなくて良いからだ。それを振り払うのが面白いのだ…とここでテクニックをひけらかしても軽運送の主題から外れるので記さないが、バックミラーから見えなくなったのは確かだ。

と思っているうちに帰路も、ほぼ終了。後は高速で営業所まで。こちらもまたギリギリ。待ってましたと全て集めた解答用紙を担当社員が試験会社に持っていく。これで終了。普通商品を載せている間だけが距離として計算され、料金になる。が、今回は往復だけではなく、一度木更津まで引き返した距離も全てが加算される。最初に書いた「率が良い」とはこのことだったのだ。

どうして、この仕事をブログに書いたかと言えば、実はこれが私の軽運送業、最後の業務だったのだ。
そう、私はこの時期5年を迎えようとしていた。顛末記の最初に書いたように会員を、ほぼ1年で辞めさせなければ効率の悪いD社に長く居過ぎたのだ。この後、私には一切仕事が回ってこなかった。何回催促にD社事務所に行っても曖昧な返事しか聞けなかった。決して「辞めたら」とは言わないが。

毎日、自宅に居る時間が過ぎてゆく。私はいよいよ覚悟を決めなければならなかった。「待っていれば何とかなる」なんて甘いことは考えられない。D社、社長の魂胆は判っている。こんな事をしていてもストレスが溜るばかりだ。といって今まで関わったところへ顔を出しても、多分手が回っているだろう。営業が出来ないからロイヤリティを払ってこの協会へ入ったのだ。今更知らないところへどうして、仕事を貰いにいけるだろう。しかもその当時、不景気の真っ最中。さらに軽運送の車が街に溢れている。一匹狼で入り込む余地はない。
今まで忘れていた本業を私は考え始めていた。


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悲しき軽運送屋の顛末記-28 [顛末記]

軽運送の主役と言えば「宅配」だろう。私もこの商売を始める前に数回アルバイトで従事したことがあると顛末記を書き始めた頃に記した。


★Photoはイメージです。

私がスポットを主にした理由も書いたことがある。
毎日の宅配で大多数の軽運送の「会員」は休みなしで可動している。大手運送会社の従業員(正社員)はローテーイョンを組んで代わる代わる休みをとる。労働基準法とやらで休日の日数が決まっているのである。その穴埋め(犠牲)になるのが一番下で? 働いている軽運送の下請け宅配業者である。それだけ儲けさせてやっているのだと言われればそれまでだが、病気や冠婚葬祭、その他の理由で休みたい時もある。

そんな時に私も助っ人に駆り出される。以前やったことがあるからといって、代わりに手伝う地域のことを熟知しているわけではない。逆に初心者だ。普段、宅配に従事している人は慣れているので最低でも100件くらいは受け持っている。私にとって初めてこれだけの住所を探しながら回るわけだ。
これは大変である。また、アルバイトなどで雇う人員は集荷はさせない。配達のみで町内を回るのだ。それに引き換え、私たち会員は運輸会社の正社員と同じ条件で、代引きの金銭関係や集荷も受け持つ。

朝、宅配は早い。営業所には6:00頃には出勤して仕分けを手伝う。この仕分けとは配達区域別にコンテナに入れていく。大体が町単位で配達区域を任される。それがコンテナ別にされているのだ。これを既に慣れている会員や正社員たちは、貼り付けられている配達シールを見て自分のルートを考えながら車の中へ順番に詰め込んでいく。
しかし、私たち「手伝い」はそうは行かない。まずは地図を見て伝票から「そこ」を探す作業が先になる。区画整理されている住所なら伝票を番地順に分けていけば自然とコースが出来ることもあるが、旧番地となると飛び地があるとか、昔の畑の番地が間に入ったり、田舎はさらに字・大字、またイ・ロ・ハなんて表示されているところもある。とりあえず地図に点を打ったりして場所の確認。それからルートを作るのだ。(これも以前少し書いたことがあったと思う)

その伝票の順番を元に、コンテナの中から荷物を探し出す。ちなみに、車には最後に配達する荷物から入れることになる。何故なら奥に入った物を最初に引っ張り出すのでは効率が悪いからだ。自分が開けるドアに近いところから配達を開始する商品があるのが理想だ。
ベテランになれば頭の中でルートが出来ているし、荷物を車に入れる時にも大体の大まかな塊にして順序を決めておいても探すのが容易に出来てくる。ましてや正社員は2t車で車の広さが違う。探すにも車の中に入って探せる。対して、軽自動車に詰め込んだ荷物の中から「それ」一つを見つけ出すのはシッカリした順序に入れておかなければ探すのに時間がかかるだろう。
私もアルバイトで一週間もすれば出来るようになった。が、軽運送業の助っ人の場合はその日によって違う場所に行くのだ。それは不可能だ。

とにかく、最初は伝票でシッカリ配達場所とルートを決めておくにつきる。だから私は殆どの場合一番最後に営業所を出ることになる。当然「遅い奴だなぁ」と思われるが、これは後になって利く。
大抵、コピーした住宅地図をくれるが、これは手伝いなら1回しか使わない。なので、直接赤色のマーカーなどでルートを書き入れてしまうと分かりやすい。分からなかったら素直に聞く。全ての社員や会員が出払っても、必ず連絡係が残っているのでその人が頼りだ。こちらが初めてだと知っているので親切に教えてくれる。
この作業を完璧にしておけば最後に出て行った私が、一番最初に配達を済ませて帰ってくる。

車に荷物を積んだら早速、配達だが一番困るのは留守の家だ。不在のお知らせを入れて次へ回るのだが、毎日居ない家もある。当たり前だ、働いているのは私たちばかりではない。その家の人達も、ましてや独り者とか共稼ぎなら平日に居るほうがおかしい。そんな家は決まっている。あるところに、ある隠語で表示する宅配業者も居るがこれは記さないことにする。犯罪の温床になるからだ。
だが、居なければ何時までも荷物を持つことになる。なるべく持ち帰るように会社の規則では決まっているのだが、隣近所に頼める場合もある。あくまでも押し付けるのではなく、隣家の善意にすがるのだ。

昔はそれだけで配達は済んだ。現在はというと、もっと大変だ。時間指定があるからだ。午前中・午後・夜とそのほかにも時間刻みで決められている。最終は午後9:00配達と言うのもある。運ぶルートも複雑になって来ているのだ。なので今の宅配は私には勤まらないと思う。

もうひとつの宅配の業務に集荷がある。前回の顛末記-27で書いた単体の集荷と違いこちらは配達する荷物を集めなければ商売にならない。自宅、コンビニ、商店など多岐にわたって動くが、配送をしている途中に連絡が来る場合がある。これも面倒なのだ。ルートを決めても途中で連絡のあった「そこ」へ行かなければならないことになる。近くへ行くまで待ってくれるお客なら良いが、そこは便利を売り物にしていれば「直ぐ行きます」といわざるを得ない。
コンビニや商店は時間を決めて集荷に行くのでルート内に収まるが自宅の場合、行ってみたら留守にしていた、何てことも間々あるから参ってしまう。

集荷で気を使うのは、料金だ。三方の長さや重さで決まるのだが(これは送るほうもご存知だろう)、殆どの手伝いはメジャーも持っていなければ、ましてや重さを測る機器は持っていない(これはたまの手伝いだからだ)。慣れてくると大体の重さも分かってくるが、数キロの違いは分からない。軽すぎれば会社に迷惑をかけるし、重すぎればお客に損をさせる。メジャーは用意するにして、自宅に訪問しての集荷は体重計を貸してもらったりするのが助っ人のテクニック。コンビになどは用意してくれてあるし、既に店員が会計を済ませてくれてあるのでその必要はない。


★Photoはイメージです。

[こんなことがあった、その24]
私は犬が苦手だ。幼いときに大きなシェパードに足を噛まれ、整形外科に担ぎ込まれたことがあるからだ。
配達に行くと、よく門などに「猛犬注意」とかいてあったり、庭の奥で泣き声が聞こえると足が止まってしまう。まさにトラウマだ。

ある家に配達に行った。そこの家人はペットを非常に可愛がっているようだ。門を入ってチャイムを鳴らした途端、ドアが開いて人間より先に犬が飛び出してきた。そう、家の中で飼っている、多分皆さんの中にも多くいると思う。
放し飼いなので止めることも出来なかったのだろう。家人は外へ逃げ出すことを心配して飛び出してくる。決して配達人の安否など意に介していない。
犬というのは自分を中心に上下関係を決めるというが、おそらく私は下に見られているのか、または敵と思われているのか、殆どの場合吠えられる。こちらも好きではないが…

ドアから飛び出してきたそのペットは私の足に噛み付いた!! ご丁寧に2度もやられた。くわえたら、なかなか離さない。足を振ってみたが口でぶら下がっているのだ。後から出てきた家人の最初の言葉は「駄目でしょ」だった。これは噛み付いたことの叱咤ではない。外へ出たことの「こごと」だ。私としては、蹴飛ばしてやりたかったが、そこはお客様のペット。じっと我慢して、それでも心配になり、「この犬は予防注射してあります?」と聞いた。荷物を渡し、足を引きずりながら戻る私に家人の「すみません」とか「だいじょうぶ?」などの言葉は聴けなかった。
車に乗る前に裂けたズボンをめくって見ると、血がにじんだ穴がポツポツとついていた。

[こんなことがあった、その25]
宅配も繁忙期になると同じ場所に何度もいくことがある。殆どが同じ荷物なんてこともある。春先だと「たけのこ」、お中元なら「清涼飲料」、お歳暮には「みかんの箱詰め」が何回も運ばれる。しまいに「また来たのぉ」と迷惑そうにいわれることもある。勿論、そればかりでなく多くの荷物の中には高価なものや珍しいものもあるが、それがかえって配達先の人には不要なこともあるのだ。
数回訪れると顔見知りになり、そのうち仲良くなる。特にチョット横道に逸れた商売をしている男性は気持ちが大きい?のか、「また来たのか、いつもご苦労だなぁ、これ持って行け」と配達した商品をくれることも結構ある。これは私ばかりでなく、殆どの従業員が経験あるらしい。中身も分からないでポイと渡されて、車の中で開けてみると高額な商品券だとか、箱の中からゴルフクラブなんてこともあって、嬉しいが「いいんですか?」と確認に行ったりする。大体が一度やったものは返せとはいえないらしい。私はみかん一箱とか、ハンカチ詰め合わせ、センスの悪いネクタイくらいしかなかったが。
女性は99%くれはしない。十何箱も来たりんごやみかんでも…くれるのは中小の社長がワンマンの会社に来た贈り物が多い。別にそれをあてにして宅配をするわけではないが、たまにはそんな余禄があるという話。

[こんなことがあった、その26]
宅配で困る事で雨がある。傘を差すわけにもいかず、殆どの配達員はカッパも身に着けない。自分が濡れるのは仕事なので仕方ないにしても、商品である荷物を汚したのでは商売にならない。
ある時、台風が来ていた。荷物は無料で配るタブロイド誌を、その配達人の家まで届けるのだ。部数を確認して車に積んで出るのだが、その時は嵐の前の静けさで「大丈夫」と思っていた。
それが、段々風が強くなりしまいに横殴りの雨が凄い。目も開けていられない状態。しかし、今日中に届けなければ期限に間に合わない。こういう広報誌は一週間に一度何曜日に配ると決まっているのだ。
紙というのはそれだけで重い。想像以上だ。手で持てるのはせいぜい新聞で一か月分60組くらいだろう。その時の部数は平均で各300部。それを50件は配達しなければならない。当然重量も相当なもので鉄でも積んでいるように車も軋む。
なので、各家庭に持っていくには台車を使うしかない。タブロイド(小型の新聞)とはいえ、この部数になると台車で段のある場所を乗り越えるのは大変である。ましてや団地などは1階のフロアに上るにも数段の階段がある。当然台車では上れない。一度おろして台車を上へ、また荷物を載せることになる。しかし、豪雨で強風まで吹いているとこれも出来ない。だからといって誰も手伝ってはくれない。これは仕事なのだから。
しょうがないので、どこからかオモシになる石などを見つけてきて飛ばないようにし、1階のフロアの中まで数十部ずつ分けて移動する。そのたびに紙は雨に濡れてしまう。配達人の家のドアに着いた時、その荷物はビショビショになってしまった。「こんなもの、どうやって配るのよ」という罵声に頭を下げ詫びるしかなす術は無かった。

完結の感覚が無いと以前の顛末記で宅配のことを書いたが、こんな苦労も私が敬遠する理由のひとつだ。どんな仕事でも良いことがあれば、悪いこともある。しかし、宅配という業務は体力、精神力とも見た目より大変な仕事だと感じる。それは運送業のほかの業務を経験してきた結果、私が宅配に向かないのかもしれないが。

尚、宅配の収入については以前の顛末記に書いているのでここでは省く。
また、現在の宅配はシステムや条件・環境が変わっているかと思う。これは当時の話である。


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悲しき軽運送屋の顛末記-27 [顛末記]

私は神経質の几帳面である。血液型A型ってのは関係ないのか? 自分で言うのも「おこがましい」のだが、荷物の積み方もきちんとしていなければ気がすまない。その上、外面が良いようだ。そうは感じていないのだが、話し言葉が丁寧で礼儀正しいとされていたらしい。お客に接する時には当たり前だと思うのだが、これが長所であると同時に短所でもある。
この業界で丁寧すぎる、礼儀正しいのは嫌われ、フランクな付き合い、適当な振る舞いが歓迎される。空港にいた時もその気配は感じていた。別に同僚である会員に冷たい態度をしていたわけではないが、仕事を出す会社の事務所に数人の会員と行った時などに態度が違うと言うことで違和感を覚えたのだろう。世話になる会社の事務員に良い顔をするのは当然である。

しかし、この業界の連中はそうは思っていないらしい。電話の応対を聞いていても、「もしもし、○○さん? F運輸たどけどねぇ。今日の午前中いる? 」なんて調子だ。OKとなれば「じゃぁ、これからいくから」。これはお客にいう言葉ではない。特に代引きなどのお金が絡んでくる配達の場合、電話で確認することがあるのだ。留守では無く、つり銭が無いようにするためだ。が、私が応対するとバカ丁寧で付き合いにくい奴だと思われる。決して職種で差別をするつもりは無いが、業界内にこういう人物が居ると運送会社=粗野な人種の集まりと思われても仕方が無い。昔はこれで許されたのだろう。それなりに親しさは出るかもしれないが、感情を害する人もいるだろう。温和なしゃべり方は良いが商売で敬語の無い世界は余り聞いたことが無い。


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逆に、丁寧に接して文句を言う人はいない。なので、私はF社の二階、つまりパソコン配送エリアでは重宝に使われていた。やはり高額なものを買うのだから、お客の方もそれなりに扱われたいのだろう(お客様と書かないのはこのブログの性質上、自己表現の文章のためであり、決して呼び捨てにする意図ではない)。
パソコンという商品にしてもプログを読んでいる諸兄には当然と思われる、優しい扱いが要求される。何しろ精密機器なのだから。中には放り投げたり、積み方も衝撃が加わるような荒い奴が結構いるのだ。パソコンという製品の特性を知らずに作業する従業員が多い。私が丁寧なのではなく、ほかが雑なのだ。当時の話ではある。今そんな扱いをすることは無いだろう。

[こんなことがあった、その22]
その日、夜に呼び出しがあった。F社の2階からだ。こんなことは珍しい。この会社は殆ど定時である午後5:00迄で帰りなのだが、特別に私を名指しで連絡が入った。軽運送のD社からの電話ではなく、直接F運輸からである。
早速、出向くことにする。本当は食事中だったが、運送の仕事は呼ばれたらなるべく直ぐに出るがモットーだ。我が家からスムーズに走っても45分、夜の場合であるが。倉庫の2階ではそこの部長が待っていた。なにやら機嫌悪そうに。部長と言えばこの営業所では相当上だ。その人からご指名を受けたからにはなにやら大切な仕事かと、チヨット緊張気味に入っていった。

仕事は「集荷」だった。つまり指示された場所に行って荷物を回収してくるということ。たったそんなことに何故に私なのか不思議だった。運送業は夜も遅い。まだ従業員は残っているし車も空いているいるようだが、仕事なので快く引き受けることに。壊れたディスクトップパソコンの引き取りで、何やら取引先のお偉いさんの家から文句の連絡が入ったとの事。そこへ出向いて「謝ってきて欲しい」という。
この頃はよく謝罪することが多いなぁ…と思いながらも理由を聞くと、顛末記-24で書いたように家電店やショップでの販売をしていないメーカー(通販)で結局、破損していると言うことは輸送の扱いが悪いと言うことになる、と購入者は言っている。なので、言葉を選んで話せる奴を行かせろということになったのだ。そんなの誰でも出来るはず…ってF社には余りいないか。
しかし、部長は直接行きたくないのだね。それとも敬語が使えないのか??

ま、失礼が無いようにということで住所を聞いて出発した。そのほかの条件は出荷時の箱に入れて持ち帰ること。って、私がそのメーカーのパソコンがどのように箱の中に入っていたかなんて知る由もない。兎に角外箱の破損状況とそれが中身に及ぼした経緯を知りたいらしい。それなら帰ってきてから再現しても同じことだろうが、なるべくそのお偉いさんの家人にどのような状態だったかを聞いてくることと、充分の詫びを入れるようにと言うことだった。

夜の街へ飛び出した。時間にして40分…と思ったら、スポットと違い大きな会社とか工場・倉庫とではなく、宅地の密集地。住所を頼りにするが夜の暗さで目印が見えない。そればかりか店のシャッターは下りていて場所も聞けない。狭く、迷路のような道をぐるぐる探す。一時間も迷ったか。と、それまでのアパートや比較的普通の住宅地から抜け出し、広い敷地に大きな家。周りは高い生垣で中は見えないが、かなり金持ち風。「ここだな」。流石、運輸会社の部長が直接手配する上得意の住まい。なんていっていられない。人柄が悪ければ頭ごなしに怒鳴られる。覚悟を決めて門のチャイムを押し、中へ入れてもらう。庭で、でかい犬がこちらを見ている。玄関を開けて待っているその人が本人らしい。早速頭を下げて詫びるが、「いやいや」と想像していた人物とは裏腹。人当たりの良いおじさんだ。
やはり、上に立つものは出来ている。なんて勝手に感心して「物を見ると」ありゃりゃ…やることは粗雑。玄関内のフロア一杯にモニタ(当時は薄型の液晶でなく、ブラウン管の重い奴)やPC本体、ケーブル類が散乱している。箱はと言えば一番大きなものに全て突っ込んである。クッション材まで。ここで元へ戻すわけには行かない。ケーブルが全てあるかなんて私には分からない。ま、とりあえず車まで持てるだけずつ運ぶことにする。4、5回往復して薄暗い車の中へパソコンをいれ、家人に挨拶。おそらく新しいパソコンが明日届くだろうと笑顔だ。なんて愛想がいいんだろう。私ではなく壊れたPCのその人がである。んっ…最初から壊れていたらこんなに機嫌が良いだろうか、もしかしたら貴方が壊した? と疑ってしまう。原因はおそらく配線ミスか、どこかへぶつけた、または落としたかもしれない。箱の中身を復元したところで本当のところは分からないだろう。
そう、あれだけシッカリ梱包していると、そんなに簡単には壊れないものだ。いくら輸送の時に衝撃を与えたとしても。

薄暗い車内灯で確認しても箱の四隅に凹みなど無い。メーカーは初期不良で片付けるのだろうから、私の知ったことではない。後は箱詰めをして持ち帰るだけだ。が、これが大変、モニタはスンナリ入ったが本体がどう入っていたのか、キーボードとケーブルも…えーい面倒だとその箱の中に全てを放り込む。こんなパズルを夜の道端でやる気は無い。私はこのままF運輸へ持ち帰ることした。それにしてもあの家人の笑顔が妙に頭に浮かんだ。当時は訪問サポートなんて無かったんだろうか。その後のことは知らない。そこが私の文章のつまらないところ。後日談があれば完結して面白いのに。


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[こんなことがあった、その23]
これも「集荷」の話。またしてもご指名で。場所は茨城県、水戸に近いところだ。配達でハンコを貰って帰ってくるスポットとは違い、人との接触が長い仕事、つまり接客業に近い。会社だが、化学工場だった。そこから一応、F運輸の営業所に持ち帰り、次の配達場所へ持って行くらしい。で、私の仕事は集荷までだ。

街を走ると良くマフラーの出口に網の袋を被せている車を見かけるだろう。あれは、これから行く化学工場などに入ることがある車である。工場の敷地内は「火気厳禁」、ガス漏れなどしていて、そこへマフラーから出る火の子に引火することを防ぐためだ。
受付で行き先と社名、入庫時間を書いて入管証を貰う。その上で車をチェック。あいにく私の車には「それ」がついていない。本来なら貸してくれるところもあるのだが、あいにくここの工場は無いらしい。「ここへ来るなら、それ用の車で来い」ということか。仕方が無いのでフェンスの外の駐車場所に車を停め、台車を持って歩きでその棟へ向かう。結構広い構内だ。
ここの担当者はそっけない。お客なので敬語で応対(当然か)するが返事が…彼は無口だった。台車は1階に置いていく、荷物は4階、エレベーターは無い。普通の建物でも(たとえば団地など)5階以下でのエレベーターの義務付けは無いと聞いた。が、荷物を持っての往復はかなりしんどい。やっと積み終わり、挨拶をするためにその担当者の所に。すると「F運輸だったね。貴方の態度は気持ちがいい、名前は? これからも宜しくね。貴方の会社に電話しておくよ」…と言われても下請けだし、地元の営業所ではないので褒められてもねぇ、である。しかし、言われるだけ嬉しい。無口、無表情な彼でもこちらの態度を見ているのだ。
おのおの社風と言うものはあるのだ。F運輸も「この会社は礼儀にうるさい」と思ったから私を行かせたのかもしれない。

運送業は仕事として賃金を貰うのは当たり前として、前にも記したが、お客からの「ありがとう」「ごくろうさん」などの何気ない言葉が嬉しいものだ。それを得るにも接客の態度や言葉遣いには気をつけたいものだ。逆の立場(お客)になればそれは明白である。

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悲しき軽運送屋の顛末記-26 [顛末記]


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軽運送の中に「チャーター」という業務がある。今まで空港ではスポットが主な仕事だった。目的の場所、一箇所に配達して終了。後は帰路につく。これと似てはいるが拘束時間や配達内容が少し違い、地元のE社に来てから目立って多くなったものだ。
半日とか一日のそれも一週間に数回とか、一ヶ月とか定期的に数箇所を回り配達だけではなく集荷(荷物を集めて持ち帰える)したり、その荷物を次の場所に配達するなどの業務である。運輸会社から荷物を積んでいく場合もあるが、一般の会社に指定時間に出向いて荷物を受け取りそれを配る場合もある。

また、ロッカーや物置とか、大物ではユニットバスなどもあるが、軽1Boxでは無理で幌型トラックが主である。家具をホームセンターやメーカーから会社・民家に配達した後に組み立てまでの条件で料金を貰うこともある。特別に講習を受けているわけではないので取扱説明書だけが頼り、家人がやる気になれば出来る簡単なものもあるが、不器用な人には向かない仕事だ。
ここまで来ると便利屋に近い。流石にごみ捨てとか廃品回収は特殊だが、注文があればやることもある。ただし産廃などは免許がいるのでそれなりに許可を持っていなければお断りする。

考え方によっては「引越し」も一種のチャーターかもしれない。お客の住まいまで出向き、家具などを載せて新居に配送、下ろしてからセッティングまですることもある。殆どが一日仕事である。たとえば、次の住まいが一戸建てとか、マンション・アパートの一階の場合は比較的楽だが、会員一人で5階のような上階層に大物を運ぶとなるとこれは厄介だ。かなり厳しい仕事と覚悟しなければならない。

[こんなことがあった、その21]
ある日、家具店から高そうなかなり重い、しっかりした木製の机を運ぶことになった。私一人ではない。積むのは一台なのだが二台で出向くことに。それだけ重量があると言うことだ。パートナーになったのは60代も後半の温和だが仕事に対しては「適当」としか言わざるを得ない人物だった。
荷物は私の車に積み、ルートも調べずにこちらの車について来る。しかし、仕事の依頼を受けたのは私ではない。その男性会員の方だ。伝票も彼が持っている。仕事の主な責任者なのだ。私は助っ人なのだ。


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数時間走ってその家に到着した。高価な家具を買った証のように新築の立派な建物だった。到着したからといって彼は何もしない。私がチャイムを押し家人との挨拶、どの場所に置くかを確認して荷おろしが始まった。が、これが頼りない。机というからには引き出しがついている。傾ければその引き出しが開いて落ちてしまう。何故かこの家具、普通は傷防止のための梱包をしていなかった。勿論、机そのものに引き出しを止めるテープなど、後で跡が付かないために使ってはいない。
彼に気をつけるように言って運び込むことにする。庭から回って横の出窓から入れる。ドアからは幅が大きくて入らないのだ。
なんだかヨレヨレしていて心もとない。家人も「気をつけてくださいね」と言われるほど左右に傾いてはゆっくり進む。私が先に履物を脱いで家にあがることにした…と言うことは中腰で不安定、力が入らない。下(外)にいる彼のほうかシッカリ支えてくれないと机を落としてしまう。
「しっかりもって!」といったのがいけなかった。彼が傾いた机を真っ直ぐに修正するために右手に力を入れた。その瞬間机は大きく左に倒れていった。程度と言うものが分からないのだ。必死になって私は受け止めた。多分腰が軋んだと思う。それほど重量のある家具だった。

「あっ」と思ったが持ちこたえたはずだった。その家具が部屋の中に何とか納まったと思った瞬間、悲鳴が聞こえた。いや、罵声かもしれない。その一部始終を見ていたのは、この家の婦人である。その女性が指差す先を見て愕然とした。
新築の壁のカドが凹んでいたのだ。確か、持ちこたえたと思ったのだが、あたったのだ。ほんの少し。新しく貼った壁紙の中の塗り壁はまだ乾いていなかったらしい。指で押してもブヨブヨなのだ。私は元に戻るか押してみたので分かった。見た目は殆ど直ったのだが、その婦人が勿論承知するはずが無い。やはり専門業者に頼まなければならない。「確かに凹んでます。こちらのミスですので会社に連絡して対処いたします。申し訳ありません。」と謝った。が、彼女は半狂乱になっていた。多分私の声は大部分聞こえなかったのではないかと思われる。自分の叫ぶ大きな声で。私のパートナーはといえば我知らず…さっさと車に戻ってタバコをふかしていた。

責任者なら、万が一自分の不注意でなくとも謝るところ。だからと言って全てが私一人の不注意で、なってしまった事故ではない。こちらとしては「貴方が力を入れすぎたからだ」と言いたいが、責任のなすりあいをしても仕方が無いし、現実に私も携わっていた以上、謝るしかない。同等だと思った。しかし、彼は知らん顔。

これが後で問題になった。誠意を見せない。従事した業者が誤らなかった。と家具店にクレームが入った。
このような事故はよくある事なのだ。注文したほうは新築の家を傷つけられる行為に諦めがつかないのだろうが、大手運輸会社の特に引越し専門業者は事前に家屋をチェック、引越し時には家具がぶつかるのを防止するために壁(特にカドには)に厚手のシートを巻き、それから運び入れる。それでも傷は出来るもので一件の引越しで4~5箇所は事後に見つかる。これは有名なY社の社員から聞いたのだからほぼ正確だと思う。

だとしたら頼んだ、まして新築の家はたまらないと思うかもしれないが、そこはプロ、チャント保険に入っているし、その為の専門業者と提携している。
私も知り合いの住宅の新築・引越し・補修に立ち会ったことがあるが、それは何事も無かったように綺麗に直るのだ。正確に言えば傷(凹み)を分からないようにするのだが、それも駄目だといったら引越し業者は誰も来てくれないだろう。極力注意は払うのだか、人間のやることでミスがないように100%は出来ない。まして家具などの大きな重い物を一日という時間が決められているのだから、ある程度の早さが要求されるのである。仕方がないと言ったら無責任だろうか。

勿論、軽運送とは言いながら、こういうときの「保険」には入っている。家具店もその対処の方法はわかっている。私は内心申し訳ないと思っていたが、直ぐに連絡をし上司(この場合は家具店の責任者)に報告、以後の対処はそちらでやることを婦人に告げた。のだが、これがさらに火に油を注ぐ結果になってしまった。「事務的過ぎる謝罪の姿勢がない」と見られたのだ。こちらとしては一刻も早く手配してスムーズに解決と思っていても、彼女は諦め切れないのだろう。折角の新しい家なのだから。

この問題は半年も続いたらしい。せめてもう一度訪問して「謝らなければ」と思ったが、それは叶わなかった。私たち担当の業者が直接顔を出すと話が複雑になるばかりだと、担当者がストップをかけたのだ。さらに彼女、帰って来た主人に事件のいきさつを大袈裟に話したらしい。無いことまで。
今度は夫婦一丸となって抗議してきたという。
最後には傷をつけたという問題が摩り替わって、業者の誠意のなさの言い合いになったのだ。直す、直さないの問題ではなくなってしまったのが残念だ。
その元凶を作った仕事を請けた会員の彼は後で聞いた話によると、軽運送を始めて2,3回の新人だったとか。まだこの世界の知識も無いうちに体験したのは不運だった。自分の車に帰ってしまったのは、その時のショックだったのかもしれない。

もし、こんな事件が自分に降りかかって来たら私はその業者を許すだろうか。些細なことかもしれない。しかし、多分そこで一生を過ごすことになる終の場所が傷つけられたのだ。毎日その壁を見て悔しい思いをするのだろうか。経験した人でなければ判らない。
ひとつだけ彼らの心情が分かるとすれば、規模(値段)は違うが、十数年前に新車を購入した時にボンネットに凹みを見つけてしまった。車好きの私としては、少しの傷も許さない。当然フードを取り替えてくれるものと思っていた。が、全てを取り替えれば塗色と隙間が微妙に違ってくるという(私の車は一台づつ手で組み立て、塗装も手塗りの半カスタムメイドである)。車全体と会わないのだ。結局仕方なしにその部分を板金で補修することになった。新車だったのである。それが傷物に…綺麗には直ってきたが、いまだにその部分に目がいく。それと同じ…いやもっと嫌な思いをしているかもしれない。私のように執念深ければ。

結局、パートナーだった彼は二度と私の目の前には現れなかったが、どうしたのだろうか。
私はといえば、責任は感じても次の仕事に相変わらず従事し、いつの間にか時が記憶を薄れさせてくれた。何時までも引きずっていてはプロとはいえない。不可抗力が故に。だが、軽と言えども運送業は車を運転して配達すれば済む仕事ではない。いろいろなことがあるのだ、その対処か出来なければやっていけない。私の失敗例か…


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悲しき軽運送屋の顛末記-25 [顛末記]

私の見た目はガタイが良い。身長180cm、体重84kg。とても病気などとは無縁に思える。それだけ運送業に向いている。なんて皆に口をそろえて言われる。
確かに若い頃は疲れ知らず、タバコ・酒も多いほうだったが大病をすることは無かった。
学生時代のアルバイトも左官屋、といってもビルの建築に組み込まれたモルタル(コンクリート)のこねる作業と、それを階上まで運ぶ足腰の強さが要求される仕事や、道路標識の埋設(つまり穴掘り)、寿司屋の配達、以前紹介したデパートの配達など体を動かすのが好きだった。


★Photoはイメージです。

本業がディスクワークに変わり、体力が急激に落ちていった。ある時(数十年前のこと)、娘が風邪を引いた。本業へ独立して、やっと軌道に乗ってきたときのことだ。徹夜を3日した後に子供の異変を聞いた私は早速市立病院へ連れてゆく、流行っていたのだろう半日以上待たされて診察してもらい、帰って来たときには疲れ果てていた。その結果今度は私が風邪を貰ってしまった。39度の発熱と下痢。
それでも一週間様子を見たのがいけなかった。今度は私が病院へ。結果風邪のウィルスによる腸炎と判明。入院二週間、その間絶食・絶対安静の宣告を受けた。療養生活一ヶ月。退院した時は身長は変わらないが、体重が60kgと見た目ガリガリになった。それ以後の私はタバコをやめ、酒も減らし健康に戻った…と、軽運送と何の関係があるのか?

さて、本題だが1回の入院生活はしたが、それ以外すこぶる健全な生活を送っていた私が軽運送で前回まで述べてきたように、環境が一変。それを機に不規則な食事・極端な寝不足・とどめがストレスで心身の不調が現れてきた。
不規則な食事とストレスは不思議なことに太るのだ!深夜の呼び出し、待機、そのままの運転、車の中での就寝。無理のし放題だ。その内、体がガタガタになってくる。だからと言って収入が少ないのだ、休むわけには行かない。しかし荷物の積み下ろし以外、体は動かない。いや、動けない運転姿勢。良いわけが無い。最初はめまいから始まった。安全確認のために左右に頭を振る…と急激に景色が傾いた。それは数週間続いた。軽運送に携わってから3年半くらいのときだ。正確な時期は覚えていない。目が回れば当然、次に吐き気が襲ってくる。息切れに動悸。それでも私は頑張った。自分なりには。

[こんなことがあった、その19]
忘れもしない。東北自動車道路を北に向かって走っていた。直線の快適な道&景色。私の体調も不安なしだった。前の晩の仕事で荷物の積み置きが深夜になったことも忘れて。と、直線道路のはずが捩れて来た。いや、そう見えてきたのだ。その内、胸苦しさ…息が苦しい。
不思議なことに私はどんなに具合が悪くても車の運転だけは出来てしまう。好きとか向いていると言うより、不調を忘れてしまうのだろう。何とかアクセルを踏むが胸が重く痛くなってきた。こんな状態になったことのある人は経験があるだろうが「トイレ」に行きたくなるのだ。そして脂汗。
仕方が無い。配達時間は迫っているが、サービスエリアによることにする。「トイレ」に行っても出るわけではない。焦燥感でじっとしていられない。「これは普通じゃあない」=「死ぬかもしれない」と思った。その時は。結局死ななかったし、何とか目的地に着いて荷を下ろして帰路に。少し症状は落ち着いてきたが脱力感は相変わらず。帰りはサービスエリアを見つけては休みながらの運転だ。

その日を境に私の体調は現在まで変わらない。当然、翌日病院へ。しかし、原因が分からない。MRI・レントゲンは勿論、心電図、血液と尿検査などなど一通りの検査を受けるが、その医者に正確な病状は発見できないかった。病名はストレスによる自律神経失調症。あいまいな病気だ。夜中にこの症状が出て救急車を2度呼んだこともある。
これが原因でカミさんは運転免許を取った。救急車と言うのは病院まで送ってはくれるが、帰りまでは面倒を見てくれない。深夜、病院内の公衆電話でタクシーを呼んで待つ時の不安を覚えたからだ。
自家用車なら電話をして予約すれば救命救急病院へ入れる。それほどはたから見ても酷い状況だった。この症状が出ると私は「死」を覚悟するようになった。「そんな大袈裟な」と諸兄は思うかもしれないが。

早朝から深夜まで、仕事が出るかどうかも分からない、段々少なくなる収入と度々変わる環境。無理難題の要求をする運輸会社の不条理。「生活はどうしよう」…と言うようなことを毎日考えていた結果のストレス過多であったと思う。相変わらず不調は続いた。

仕方が無いので病院を変えた。前の病院は待ち時間が長く、診察は数分。誠意が無いと思えてしまう医者に業を煮やしたのだ。現在も通院している小さな医院だが熱心な医者は「一日着装する心電図を試して見ましょう」と言った。24時間その装置をつけているだけで気分が落ち込むが、原因が分かればと我慢した。寝るときもつけているのだ。そして、私は仕事をその為に2日間休んだ。仕事で体の変化が大きくなると正確に測れないと思ったからだ。つまり日ごろの「普通の生活」にしたのだ。
結果、不整脈が出た。少しなら異常ではないが思ったより多かったらしい。そして血圧に異変があった。症状が出ると最低血圧が120mmHg(最高血圧ではないくれぐれも…)、脈拍も120。これはもう心房細動に近いという。

薬も降圧剤・強心剤・抗不安剤のほかに循環器系の2種類。薬漬けである。しかし、仕事を続けていく以上この症状を隠さなければならない。そう、逆にこの仕事をしていたら治らないのである。強度のストレスがある限り。
私は気が小さいのである。しかし、悪いことに人一倍正義感が強い。長所であり、短所だ。納得しない所業は許さない。黙っていれば通り過ぎることでも、「それは違う」と言ってしまうのだ。要領が悪い。だから結構衝突する。会員とではない。運輸会社の社員や例の所長とだ(分からない方は前回の顛末記をどうぞ)。相手にとっては扱いにくい奴だろう。なので仕事は減ってゆくわけだ。当然かもしれない。もしかしたら自分でストレスの原因を作っているのかも。


★Photoはイメージです。

[こんなことがあった、その20]
たわいの無いこと。単に私の精神力が弱いだけだ。発症してから半年くらい経った頃には私は軽い「うつ」になっていたのだと思う。何回目かの箱根、今回は登山鉄道の駅に配達。きついカーブの折り返しに、軽いフラツキを覚えながらそれでも薬が効いているのだろう。それ以上の不具合は出ていない。が、下り坂は神経を使う。のぼりより技術的に難しいのは皆さんの知るところだろう。
日暮が近い。少し疲れてきた。私は東名高速を使って帰ることにした。普通なら国道一号線を使ってエツチラ、オッチラ、ノンビリ行くのだが、その日は料金を使っても楽をしたかった。「多分これで今日の収入はなくなるだろう」と寂しい気分になってきた。
それがキッカケになったのだろうか…悲しくも無いのに涙が出てきて止まらなくなった。「私は何でこんなところでこんな事をしているんだろう」「家族にも楽をさせてやれない仕事、なんて無駄なことをしているのか」「生きている資格があるのだろうか」。周りには大型のトラックが流れに沿って走っている。『いっそのこと…』と思った瞬間、前のトラックのブレーキランプが光った。このままアクセルを踏み続ければ楽になれる。
ふっと悪魔の囁きが聞こえた。私の心の中の。瞬間、目をつむった気がした。
しかし、人間なんてそんなに簡単に死ねるものではない。動物的防衛本能なのか、自分が弱いのか、いつもより大分遅れて私は急ブレーキを踏んだ。もう少しだった…暫くその場に車を停めたままだった。渋滞気味だったが高速道路上は少しずつ流れていた。停まっているのは私だけだった。後ろから警笛が鳴った。前の景色がにじんでいる。その後もそんな考えがよぎることが何回かあった。怖くは無かったが自損事故以外、相手に迷惑をかけるなんて理性が働く自分が情けなかった。
正常に考えればそれでよいのだが、その時は正常では無かったのだ。

今までの「顛末記」は経緯やテクニック、出来事を書き綴ってきたが、今回は私の精神的、身体的状況がここまで追い詰められてしまった。と言うことを伝えたかった。恥を忍んで。
最初の募集広告を見てから4年の歳月が経っていた。月収70万どころか10万も収入はなかった。人間は金がなくなると心まで変わるのかもしれない。私の前から消えていった会員の仲間達もまた、こんな気持ちになって去ったのだと思う。世の中にはもっと苦労している人、苦境に立っている人が多くいるに違いない。

しかし、あえて書き記す。私自身が甘いのかもしれないが「軽」だけではなく、この業界は甘くは無い。少なくても弱い人間は命を落とすこともあると承知することだ。どんな仕事でも命がけではある。金を得ることの大変さは分かるが、運送業はまた別だ。何しろ動く凶器に乗っているのだから。

現在、冷静に考えれば自分で命を絶つことの愚かさは反省すべきである。万が一には苦しい時があるかもしれないが、強く生きていくことを諸兄にはお勧めする。

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